【 令和八年 (2026年) 池子神明社 夏祭】
祭りは2日間だけではありません。
準備から片付けまで、多くの人々に支えられています。
準備から片付けまで、多くの人々に支えられています。
まずは、境内の清掃から始まります。今年は、池子区会上町の皆さんにご尽力いただきました。
さて、宵宮の始まりです。
今年は、池子区会が、450名限定の空くじなしの抽選会を実施したことで、開始と同時に多くの方に来場いただきました。早々に終了となり、来年は開始時間や運営が課題となります。
アッという間に、境内は満員となりました。
木遣り保存会では、樹齢約100年の池子で採れた梅を使った梅ジュースの販売を毎年行っています。年1回、ここでしか飲めない梅ジュースです。リピーターの方が多く、ありがとうございます。
今年は「紅茶割」も追加、好評でした。
今年も、宵宮の最後まで、多くの子供たちが残ってくれました。
いよいよ本宮です。
神輿保存会のメンバーの出陣式で気合を入れます。
厳かに神事が執り行われます。宮司の手により、御霊を神輿へと遷(うつ)す、本宮の最も重要な式典「遷座(せんざ)」が執り行われます。
木遣り保存会が「手古」の謡を奉納します。
いよいよ宮出しです。
いよいよ本宮です。
神輿保存会のメンバーの出陣式で気合を入れます。
厳かに神事が執り行われます。宮司の手により、御霊を神輿へと遷(うつ)す、本宮の最も重要な式典「遷座(せんざ)」が執り行われます。
渡御の安全を祈願し、献杯を交わします。
木遣り保存会が「手古」の謡を奉納します。
いよいよ宮出しです。
東昌寺に入場し、神輿を盛大に練り上げます
東昌寺でお神酒をいただいていますので、鳥居前の練りが最大の盛り上がりとなります。
御霊を神輿から本殿に移す儀式です。
祭りは、ここでは終わりません。「直来」というお待ちかねイベントがあります。神様と一緒に酒を交わし、食事をするという、これも大切な祭の儀式です。宮司の挨拶から始まり、東昌寺副住職の挨拶に続き、熊坂夏祭り実行委員長の掛け声で乾杯です。
今年は、池子区の金松区長が池子の自治会に声をかけたので、多くの方々にご出席いただきました。ありがとうございます。
今年の夏祭りは、仕事を持っている所謂「現役世代」で運営されました。
神輿担ぎ衆は、例年外での直来です。
7/18(土) 芳名板の撤去をもって、今年の夏祭りの終了となりました。
【 令和八年 (2026年) 池子神明社 春祭】
3月15日(日) 15時から、厳かに春祭りが執り行われました。
【 令和七年 (2025年) 池子神明社 秋祭】
令和7年(2025年)10月19日(日) 秋祭りが執り行われました。
祭禮が終わりお神酒を頂戴しました。
昨年は中止になった「直来」を開催しました。
直来も重要な神事です。新嘗祭では、神々にお供えした物を参列者も召しあがるという儀礼で、「神人共食(しんじんきょうしょく)」という意味があります。東昌寺の副住職にも出席いただきました。
いよいよ宵宮が始まりました。16時の開始と同時に、あっという間に多くの人で賑わっています。この狭い敷地によくこれだけの人が入れるものだと、毎回驚かされます。
今回は、米軍の方々の参加が少なく残念でした。例大祭には、池子米軍住宅の司令官は欠席。また、逗子市と池子米軍住宅の窓口の組織が、横須賀に統合されたとのこと。その影響でしょうか....。
日が暮れると、宵宮は佳境、風情も出てきます。
恒例となったスイカ割が始まります。
今年は、安全に配慮して、プラスチックのバットを使い、輪になって実施しました。子供たちの大きな声が境内に響き渡りました。
(去年は、1mくらいある竹でした)
本宮が始まります。
例大祭に続いて、神輿に御霊を収める「御霊遷し(みたまうつし)」が行われ、神輿が神社の分身となって池子を練り歩きます。
例大祭に続いて、神輿に御霊を収める「御霊遷し(みたまうつし)」が行われ、神輿が神社の分身となって池子を練り歩きます。
江戸時代まで、お寺と神社の区別はあいまいでした。
そのためか、歴史のあるお寺ほど神輿が境内に入る例が多いように思います。例えば、浅草の三社祭、神奈川県の足柄まつり(大雄山最乗寺)、成田山などが挙げられますね。
神輿で終わりではありません。神輿行脚の後、関係者で食事をとることを「直来(なおらい)」と言います。労いの意味だけではなく、「神人共食」神様と一緒に食事をするという、重要な意味があります。
「直会」という言葉は、祭祀のために行っていた斎戒(さいかい:心身を清めること)を解き、平常の状態に「直る」という意味もあります。神聖な場から日常へと気持ちを切り替える区切りとしての役割も果たします。
「直来」をもって、今年の夏祭りは終わりました。
【 令和七年 (2025年) 池子神明社 春祭】
3月9日(日) 15時から、厳かに春祭りが執り行われました。
今年は西側の枝落としをしたことから、陽光が溢れ、春風が長閑に吹き抜ける、春祭りに相応しい一日でした。
宮司の祝詞には、農業の豊作と神への感謝が述べられています。
現在、池子で農業を生業としている方はいないと思いますが、池子の発展は農業に支えられてきたことを感じます。
春祭りは、比較的質素ですが、春を迎える感謝を分かち合える時間でした。
今年は西側の枝落としをしたことから、陽光が溢れ、春風が長閑に吹き抜ける、春祭りに相応しい一日でした。
宮司の祝詞には、農業の豊作と神への感謝が述べられています。
現在、池子で農業を生業としている方はいないと思いますが、池子の発展は農業に支えられてきたことを感じます。
春祭りは、比較的質素ですが、春を迎える感謝を分かち合える時間でした。
【 令和六年 (2024年) 池子神明社 秋祭】
10月13日(日) 15時から、神明社の秋祭りが執り行われました。
祝詞に続いて、宮司による神楽が披露されました。
鶴岡八幡宮でも催される「鎌倉神楽」で、12座から構成されていますが、今回はそのうちの6座を披露しました。最後は天狗の面をつけての舞でした。
また、東昌寺の住職も参列しました。
神道と仏教は、江戸時代までは明確には分かれていませんでした。
実際、神明社の神輿は鎌倉の「英勝寺」から拝領されています。
鶴岡八幡宮でも催される「鎌倉神楽」で、12座から構成されていますが、今回はそのうちの6座を披露しました。最後は天狗の面をつけての舞でした。
また、東昌寺の住職も参列しました。
神道と仏教は、江戸時代までは明確には分かれていませんでした。
実際、神明社の神輿は鎌倉の「英勝寺」から拝領されています。
【 令和六年 (2024年) 池子神明社 夏祭】
7月13日(土) 宵宮 16:00-20:00
雨模様でも、多くの子供たちが集まってくれました。

今年から、池子木遣保存会が始めた「池子100年梅の梅ジュース」
逗子中前の石黒さん宅の100年以上の樹齢の梅から手作りで仕上げた「梅ジュース」。
焼き鳥、フランクフルト、ビール...すべて完売!!
2023年から自然発生的に始まった「すいか割り」。今年も、実施しました!! 始まる時間は屋台が完売の後。大きなお祭りではできない、イベント。
7月14日(日) 本宮 11:00-16:00
数年ぶりに復活した山車。
米軍池子ビルズに声をかけたところ5人の猛者が初参加。
まずは、お清め。神輿の担ぎ衆は、昔から、白装束に烏帽子。
木遣りを奉納。「真鶴」と「手古」。
宮出し
木遣の合図で、神輿を差し、巡幸が始まります。

池子の神輿は、昔は「神輿振り」はせず、静かに練り歩いていました。担ぎ棒は、今の約半分だったので、担ぎ衆の人数も今の半分。とても振ることはできませんでした。
「気に入らない家に突っ込んで、門や塀を壊す」という暗黙の風習が昔はあったと聞きます。「神輿だからOK!」ということだったのでしょう....。
「気に入らない家に突っ込んで、門や塀を壊す」という暗黙の風習が昔はあったと聞きます。「神輿だからOK!」ということだったのでしょう....。
健康祈願の神輿くぐり。
子供御輿は大人気。
昨年逝去された池子区会役員の相川さんの自宅前で神輿を差し上げました。
池子東昌寺に到着。
神道と仏教は、江戸時代までは混じり合っていました。
鎌倉の鶴岡八幡宮は、神仏混淆の宗教施設で「鶴岡八幡宮寺」と呼ばれていたことからもわかります。
神道と仏教は、江戸時代までは混じり合っていました。
鎌倉の鶴岡八幡宮は、神仏混淆の宗教施設で「鶴岡八幡宮寺」と呼ばれていたことからもわかります。
池子の神輿は、徳川幕府にゆかりのある、鎌倉の尼寺「英勝寺」から天保12年 (1841年)に拝領しました。
今の時代では「寺から神輿が贈られる」ことは不思議に感じますが、江戸時代は普通だったのでしょう。
今の時代では「寺から神輿が贈られる」ことは不思議に感じますが、江戸時代は普通だったのでしょう。
神主と和尚が和気あいあいと語り合うのは、他の地域の祭には無い光景。
恒例の、東昌寺での集合写真。
5人の米軍の皆さん、お疲れさまでした。
来年も、参加してくださいね。
来年も、参加してくださいね。





















































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