【 令和七年 (2025年) 池子神明社 春祭】
3月9日(日) 15時から、厳かに春祭りが執り行われました。
今年は西側の枝落としをしたことから、陽光が溢れ、春風が長閑に吹き抜ける、春祭りに相応しい一日でした。
宮司の祝詞には、農業の豊作と神への感謝が述べられています。
現在、池子で農業を生業としている方はいないと思いますが、池子の発展は農業に支えられてきたことを感じます。
春祭りは、比較的質素ですが、春を迎える感謝を分かち合える時間でした。
今年は西側の枝落としをしたことから、陽光が溢れ、春風が長閑に吹き抜ける、春祭りに相応しい一日でした。
宮司の祝詞には、農業の豊作と神への感謝が述べられています。
現在、池子で農業を生業としている方はいないと思いますが、池子の発展は農業に支えられてきたことを感じます。
春祭りは、比較的質素ですが、春を迎える感謝を分かち合える時間でした。
【 令和六年 (2024年) 池子神明社 秋祭】
10月13日(日) 15時から、神明社の秋祭りが執り行われました。
祝詞に続いて、宮司による神楽が披露されました。
鶴岡八幡宮でも催される「鎌倉神楽」で、12座から構成されていますが、今回はそのうちの6座を披露しました。最後は天狗の面をつけての舞でした。
また、東昌寺の住職も参列しました。
神道と仏教は、江戸時代までは明確には分かれていませんでした。
実際、神明社の神輿は鎌倉の「英勝寺」から拝領されています。
鶴岡八幡宮でも催される「鎌倉神楽」で、12座から構成されていますが、今回はそのうちの6座を披露しました。最後は天狗の面をつけての舞でした。
また、東昌寺の住職も参列しました。
神道と仏教は、江戸時代までは明確には分かれていませんでした。
実際、神明社の神輿は鎌倉の「英勝寺」から拝領されています。
【 令和六年 (2024年) 池子神明社 夏祭】
7月13日(土) 宵宮 16:00-20:00
雨模様でも、多くの子供たちが集まってくれました。

今年から、池子木遣保存会が始めた「池子100年梅の梅ジュース」
逗子中前の石黒さん宅の100年以上の樹齢の梅から手作りで仕上げた「梅ジュース」。
焼き鳥、フランクフルト、ビール...すべて完売!!
2023年から自然発生的に始まった「すいか割り」。今年も、実施しました!! 始まる時間は屋台が完売の後。大きなお祭りではできない、イベント。
7月14日(日) 本宮 11:00-16:00
数年ぶりに復活した山車。
米軍池子ビルズに声をかけたところ5人の猛者が初参加。
まずは、お清め。神輿の担ぎ衆は、昔から、白装束に烏帽子。
木遣りを奉納。「真鶴」と「手古」。
宮出し
木遣の合図で、神輿を差し、巡幸が始まります。

池子の神輿は、昔は「神輿振り」はせず、静かに練り歩いていました。担ぎ棒は、今の約半分だったので、担ぎ衆の人数も今の半分。とても振ることはできませんでした。
「気に入らない家に突っ込んで、門や塀を壊す」という暗黙の風習が昔はあったと聞きます。「神輿だからOK!」ということだったのでしょう....。
「気に入らない家に突っ込んで、門や塀を壊す」という暗黙の風習が昔はあったと聞きます。「神輿だからOK!」ということだったのでしょう....。
健康祈願の神輿くぐり。
子供御輿は大人気。
昨年逝去された池子区会役員の相川さんの自宅前で神輿を差し上げました。
池子東昌寺に到着。
神道と仏教は、江戸時代までは混じり合っていました。
鎌倉の鶴岡八幡宮は、神仏混淆の宗教施設で「鶴岡八幡宮寺」と呼ばれていたことからもわかります。
神道と仏教は、江戸時代までは混じり合っていました。
鎌倉の鶴岡八幡宮は、神仏混淆の宗教施設で「鶴岡八幡宮寺」と呼ばれていたことからもわかります。
池子の神輿は、徳川幕府にゆかりのある、鎌倉の尼寺「英勝寺」から天保12年 (1841年)に拝領しました。
今の時代では「寺から神輿が贈られる」ことは不思議に感じますが、江戸時代は普通だったのでしょう。
今の時代では「寺から神輿が贈られる」ことは不思議に感じますが、江戸時代は普通だったのでしょう。
神主と和尚が和気あいあいと語り合うのは、他の地域の祭には無い光景。
恒例の、東昌寺での集合写真。
5人の米軍の皆さん、お疲れさまでした。
来年も、参加してくださいね。
来年も、参加してくださいね。